がんとの闘い
今日は体調が悪く会社を休んでいる。喉もなんとも無く咳きも出ないのでインフルエンザや風邪ではないようなのだが、日曜から、熱と耳の下あたりの頭痛に悩まされている。最近、身体全体の調子が悪く、疲れから抵抗力が弱くなっていて、細菌にあちこちやられている感じで、とりあえず1日ゆっくり休息させてもらっている。
こうして自分の身体と 向き合ってみると、何か具合がおかしいところとか、何がどうなっているのか感じることはあるが、自分の身体であるのにほとんどをよく知ることができないことを思い知る。自分の身体が自分のものではないような、皆さんは何か異質なものを感じるようなことは無いだろうか。よく考えてみれば自分の身体は無数の細胞の集まりであり、もし細菌やウイルスが入ってきたとしても細胞レベルでは殆んど違和感は無い。しかしそれらは、身体の中の自律的な自己組織性の調和を乱す。しかし細菌であれウイルスであれ自らの細胞であれ「生きること」に精一杯なだけなのである。つまりは誰が「生きる」のかという問題なのだと思う。生存競争という意味ではない。「生きる」とは「自分」が生きるという意志のことなのだと思う。
最近twitterで、あまのゆかさんという関西の方を知った。自分が「がん」と知り、闘おうとしていることを周りに広く知ってもらおうと書き綴っている。彼女の言葉はとてもユニークだ。息子のおならがくさいといい、恐いといい、ありがとうという。彼女はもう直ぐ手術なのだ。
彼女と「がん」の毎日の言葉を読んでいて、私たちは非常に多くのことを知る。がんに対する知識もそうだが、『命』『生きる』ということについて考える。命が尊いとか、生きることの大切さとかの哲学的な論考などではない。自分の「生」の姿、毎日の「生」のことば。その瞬間瞬間の尊さなのだと思う。短い瞬間であればあるほどエネルギーは強く、向きは気まぐれだ。私たちはその人のダイナミックさの軌跡を見る。彼女のことを想うと太くて真っ直ぐなイメージがあるが、その言葉の端々には強い恐怖や絶望の奈落の方向もある。しかし、大きく飛び出していく向きというのは、多くのものによって方向づけされている。瞬間瞬間はでたらめでも大きな方向は生まれる。まわりに彼女を思う声も手もたくさんあるようでほっとする。
私も身近な家族が「がん」の治療をしている。現在は調子もよく元気な声を聞かせてくれてはいるが、やはり心配でないと言えば嘘になる。 医学については全くの素人であるが、「がん」というのは、つくづくおかしな症状だと思う。自分自身の細胞が突然変異して自律性を乱す。それが連鎖して命を脅かすほどになる。おそらく遠い昔からあったであろう身体の変異がひどくなってしまう現象であり、普通に存在した自然な状態とも思う。
思えば「健康」というのは何をもっていうものであろうか。また「健康」が普通で、「病」や「障がい」は異常なことなのか。今こうして身体の不調と向き合ってみると、この状況が今の自分の身体であるだけである。ただし体調が思わしくなければ、仕事に行けない、作業が出来ない、人に面倒をかける、、、。ここには人間が機能的で労働力として役に立つ存在であることを前提としていて、そうでないものは「まともな人間でない」という烙印を恐怖しなければならないという近代思想の流れがある。少し斜めな見方かもしれないが「健全な精神は健全な身体に宿る」というのは偏見の匂いが含まれている。「健全」でない病気や障がいを持つものをよきものとしていない。そして人は、病気や障がいを自分から遠ざけようとする。「自分は健康である」という自我は頑なでやっかいなものだと思う。
ゆかさんは、自分の恐さや苦しさを吐きながらも、何度も何度も周りに『がん検診』を呼びかけている。人間はちっぽけな存在と言われるが確かにそうだ。しかし、自分を「生きる」ということは何とも大きなものである。ゆかさんは周りの知らない「生」にまで目を向け声かけしようとしている。ありきたりの言い方であるが、自分を生きる姿に勇気をもらう。彼女の「ありがとう」に「ありがとう」と答えたい。ぜひ下記をご一読を。
(あまのゆかさんのBLOG)そらとぶかもめの「いきることば」-ガンに負けない
あまのゆかさんのツイッターアカウント
ここを読まれたみなさま、ご家族と共に、がん検診を受けることを強くオススメします。「がん」は特別な病気ではなく、ふつうにどこにでも存在する病で、放っておくと『命』を左右しかねません。あなたのかけがえの無い、そしてあなたの家族にとってかけがえの無い『命』をしっかり見守りましょう。















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